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旅行記事

インド4

朝7:00。この日の出発は11:00、まだ眠い気もするが朝の街を見たいのでムチを叩く。おもいどおり夜の顔から一変して、デリー市街の異様な朝の空気ともまた異なった白色が徐々に色づく生活そのものの清々しさがある。改めて昨日気づかなかった裏の通りにちらりと見せる品の良い建物群の横顔。通りを一つ隔てて陰と陽、裏通りは静閑な世田谷のようであった。ディテールがそのまま建物全体のデザインになっているのが特徴的でユーモラスだ。

本日の最初はアーグラ城。何日も前からその土着的な外殻を目にしながら、何故か後回しにされ続けて、何となくその無骨さ加減に期待よりはとりあえず見ておきたい程度。

外観は赤茶色の石に身をまとい、ぼってりと野暮ったい。現地は入口からして人混みと駐車場、タクシー、土産、客引きと観光メッカお馴染みの光景。エントランスをくぐると、外観通りの巨大さがそのまま内部でも連続していくシークエンスは、少し事情がかわってスケール感が圧倒してくる。にもかかわらず心地よさが現れてくるのは、赤茶の外殻と反作用して簡素な床仕上げ、円やかな芝生、抜けた天空が拮抗している。アプローチは200M程度のたっぷりとしたスロープで、両側の壁はそびえ立ち街路のようになっている。敷地は非常に広いようだが雑然とした大味にならず、空間のスケールを変えながら領域を分節したり、庭をうまく配置している、なので入場者は観光客以外にも憩いの場として親しまれているようだ。地上であるのに屋上庭園のような開放感の違和感など、やはり写真で見るだけでなく足を運んで得るものは多い。

午後からは街をブラブラすることになった。移動途中、道路からこぢんまりと白をまとった綺麗なモスクがあったのでたち寄ってもらう。すると、隣にある建物もまたとても美しく、筆舌に尽くし難い豊かさがある。2階は建物中央部分に置かれ、低層部分がそこから放射線状に伸びているので圧迫感なく見事敷地に溶け込んでいる。堅い土を盛り上げて溝状にしただけの排水路。黄緑色の爽やかな木々。非常に印象的な家で、中も見せてもらいたかったが英語が全く通じなかったので遠慮した。

市街に近づくとやはりすごい人の密度と喧騒、そして鬼クラクションといおうか、よくよく見るとインドには信号がほとんどなくこの交通量を事故なく淀みなく循環させていくには当然のことと納得できる。それもドライバーはほぼ男(女性は90%働かない)で、運転技術の高さとも関係していると思える。また道路は車が途切れないので、人も渡るのに必死だ。建物のあちこちに手摺りがなかったり、食品の衛生にと、自己責任の国ともいえる、生きる逞しさを身につける意味では見習いたいものがある。

ケイサールに先導されて市街のマーケットをずんずん奥に進んでいくと、何やらあやしい雰囲気を感じる。あやしいというのも危険のほうでない妖しい、つまり艶、のほうである。直接的なサインがあるわけでも、女性が立ちんぼしているわけではないが、色街特有の構造に似ている。すると彼がこの辺りは女性とセックスができる地帯だ、と教えてくれた。更に路地に入って奥へ進むと、今度は人が一人もいなくなってしまった。人のいないインドの街の光景もまた不気味だが、一体どこに向かっているのが怪訝に思っていると、突如、ある家の中に入っていった。ケイサールのいとこの家だった。

この辺りは高密度の住宅地らしく、路地は狭く、高い壁に囲まれている。中にはいると暗い入口の奥で薄く光が垂れこめていた。狭々しく急な階段をぐるぐる迷路状に登りあげると、その仄かな光はヴォイド状に屋上まで上昇していた。即ち光井戸である。それを中庭とし各階の居室が螺旋状に配され、ヴォイドには落下防止のグレーチングを敷き、同時に光と通風のある恰好の洗濯スペースとなっている、まさに高密度都市型住宅の先駆ともおもえる建築に感心していると、そこから更に驚きなのは、階段はなおも屋上へと延びていき、そこはまんべんなく陽の降り注ぐ憩いの場となっていた。トイレやシャワーも屋上にペントハウスのように設けられ、恐らく衛生上のことだろう、コンパクトな大きさで外に設けられている。

この構造はこの家のみならず見渡す周囲の住宅群もほぼ同じようになっている。建物高さは、自分と隣地の日照が確保されるようあまり凸凹がなく軒並みが揃えられ、全体としてはすり鉢状になっている。そして屋上を憩いの場として過ごす住人は空へと意識を延ばすか、視界に入る光景は360°すべて「隣家の庭」というシーンに覆われ、どの隣家と自由なコミュニケーションを図ることも、風景として見過ごすことも自由なのである。

「個(部分)と社会(全体)との接続」と「戸建(部分)から集落(全体)」が、内容(前者)と記号(後者)の必要十分条件を果たし、実に生き生きとした建築を形成している驚きである。この素晴らしい共同体も、個が膨張(防犯、プライバシー)し、共同意識が欠如した今の日本ではなかなか成立しない。

ケイサールは依然いとこと話に夢中でこっちはほったらかしだ。折角のチャンスなので室内も見せてもらう。日本の部屋とあまりかわらないスケールだが、色使いや飾りに個性が光る。ここでも到るところに人がいる。その後、ケイサールは友人宅をはしご。再び、談笑に夢中で人をほったらかすこと2時間。ようやく宅をあとにして、途中食事を購入し、共にホテルでそれを食べる。今日は早く寝ようとの呼びかけにも、シャワーでも浴びれば、フロントでお湯をもらうといい、とベッドに寝そべり体たらく、テレビに夢中でなかなか帰らない。あぁ、、、こんな大学生の友達いたなぁ(まさか泊まってく気じゃぁ。。。)。


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