旅行記事

インド5

3/7/2013

朝、20分遅れでケイサール到着、そして車に謎の同乗者が3名。What?とつめよると急いで別のタクシーに移してくれたが、イノセントな大人が後部座席に1名残っている。本日の飛び道具は、彼の兄 登場。もはや諦念。。。(インドで悟る人が多いわけだ)

今日は車で多少距離のあるファテプル・シークリーへと向かう。広々とした田園風景が続き、子供も年寄りも年齢問わず家族一体となって農作業に精を出している。この国ではあちこちで牛をみかける、ヒンドゥー教が不殺生なので食肉として飼っているわけでもないだろうし、ペットというにはあらゆる意味で規格外。実用的なところでチャイのミルクはおそらくそこらの牛から搾乳されているのだろう。それと牛とセットになってくる牛糞、これは手で丸平に整えられた後、天日干しされ乾くとそれが土器を作るときや家庭用の火の燃料となるらしい。土器はチャイやラッシーのコップとなり、飲んだら地面に捨て土に返る循環となっている。そのいちいち捨てる土器をもったいないと大量のプラ容器を売り込んだよそ者が、ゴミ山の惨状に一役買った、という。

 

ファテプル・シークリーでは駐車場の関係上手前でおろされ、2km歩いて到着。モスク(イスラムの礼拝堂)と宮廷が一体となる広大な敷地である。最初にモスクにはいると、広大な伽藍の中央に清めの為の洗い場と、大理石造の礼拝堂。イスラムの作法にのっとり、手足を清め礼拝堂に入室すると、真珠のような虹色の歪んだ輝きを放つなんとも豪奢な礼拝室。厳粛な宗教のようにおもうが撮影には頓着しないようだ。

モスクを出て、続き脇の路地を散策していると大きな門構え、門越しには急な下り坂になっているようで、空が切りとられている。高所からの見晴らしは、バカには堪らん。カメラを構えると、子供たちが勝手にポーズをとる自意識は秋葉原以上である。皆とても人懐っこく油断すると集合写真のカメラマンのようになっている。幼くてもhelloと挨拶を求めてくる、子供は好奇心に素直だ。坂道を下っていくとイソギンチャクのような突起に覆われた塔と小さな礼拝場、そこで家族のような集まりが何かをしているのだけど、建築とそれを利用する人との円やかな活気をみると胸にグッとくるものがある。

宮廷地区は搭状スケルトン建物の軽やかさが目につくが、それに況して印象的なのは多様なレベル差の邂逅。1800程度や比の異なる天高、通路を介して様々な高さの交錯が実に建築的。

 

再び長い移動。齣。高速道路のゲートで渋滞となる。一番端のゲートだけが係の許可によって素通しになっていて、それ以外のレーンはなかなか進まない。しばらくすると痺れをきらしてケイサールが一番端のゲートに行こうとする。係の人に話かけ、No!No!と退けられているにもかかわらずグイグイなにやら穏やかでないご様子、何を言っているか分からないが喧喧諤諤、最後はムリヤリ金を握らせて通っていってしまった。。。頼もしいやら唖然やらで、おもわず口があいてしまうのは、買収行為よりもその金額 60Rs、日本円にして108円(オイオイ)。買収というのには悲しいので、チップと解釈してスルー。

 

途中道端で用を足す。ケイサールはいつも小便の最後ミネラルウォーターで股間を洗う。香水噴いたり、自分より清潔好きな感じがイラッとくる(そして頼むから自分の水を使ってくれ!)。

早くも一眼レフのバッテリーが切れてしまったのが残念。明日も近郊を回る為、距離も距離なので想像通り3人1部屋の宿泊となった。ホテルの受付は役所の待合のように無味乾燥の殺風景で、スチール机が一つだけ部屋の中央に置かれ、そこで記帳を済ませた。寒々しい廊下と階段、役所か刑務所を改装したようなホテルだが、部屋は広々と天井も高くわるくなかった。

この日は泊まりなので、彼は存分に自由奔放を発揮。人の洗面一式を使うがスルーで。人の携帯をいじりまくってるがスルーで。お気に召したか、自分のと交換してくれとしつこくせがまれるがスルーで。人のサンダルを履いているがスルーで。エスササイズと称し部屋のなかを30分も走っているがスルーで。「日本人はみんな感謝して最後たくさんのチップをくれた」と淀みない日本語でなんか言ってるがスルーーーーで! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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