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旅行記事

フランス3

昨日に続き美術館巡り。まずはポンピドゥー・センターに向かう。地下鉄を上ると、いきなり毳毳しい建築設備の鎧を纏った建物が聳り立つ。建設当初、パリの街並みにそぐわないと賛否話題を呼んだだけの、何か異形のものが突如屹立とした圧倒感がある。通常隠蔽される設備のダクトやら、構造部材やらがそのまま剥き出しに露出して、色取り取りのペンキで仕上げられているからだ。建物の高さも惜しみなく高い。道路から裏手に回るとエントランスのある広場に出る。この広場全体が1層分のスロープとなり、エントランスに延びていく。建物が高いのも、要求面積を満たしつつ、この広場の広さを確保する為だったと思われる程、この広さは有意義だ。更に、ポンピドゥーすぐ脇にニキ・ド・サンファルのオブジェが浮かぶ水盤のある広場とも連携して、この日はパフォーマーやアーティスト、巡礼者のような闖客やらで賑わっていた。入館すると、展示室へは一旦外に出て、巨大なエスカレーターで一気に最上階まで上昇する。移動の際、パリの街並みが展望出来る仕掛けである。展示は常設展と企画展があったが、時間の都合上、常設展のみ鑑賞。にしてもシャガール・マティス・ピカソ・カンディンスキー・クレー・ポロックまで名高い画家の、それも秀逸な作品がズラリ。やはり絵画の産出国、見応え充分。  次いでチュミのラ・ヴィレット公園。こちらもパリの異物第二弾。この公園の特徴は、フォリーと名状され公園内に点在する出色の赤いそれが、何も機能や意味を有せず、侵犯される為の規範(エロティズム)やモンタージュの一要素として、置換されるプログラムやイベントに形態や意味の固定化を絶えず侵され、繰り延べ、先送りされ、組み合わせのマトリクス・差異化によって言語の痕跡、根源的なシニフィエを問い糺す。その結果、フォリーは自律的なオブジェクトとして無限の可能性とアクティビティーを齎す。  難しいことは抜きにして、見るに限る。ここもメトロを上げると、即刻目的の公園が飛び込んでくる。が、何かコンサート場のようなものが公園入口の視界を覆っている。そしてその脇に、ときより奇を衒った恥ずかしげもない警察署のよう(梟とか。。)にフォリーがぽつねん。コンサート場を脇目にまずフォリーを辿り奥に進んでいく。次のフォリーに着くと、フォリーを基点に新しい施設(であろう)が並列して建つ。その次も。中には改築したんだか融和したんだか、溶けあっているもの。フォリーを追いかけていくとますます、現在の使われ方が気になった。全部見てみよう。題して、気になるフォリーは今!リポーターである。途中またしてもドデカイ別の施設が出現してきた。巨大な矩形と眩い反射を放つジオデシックドーム。フジテレビのそれはさておき。赤い服なら誰でもシンクロ。彫刻と対峙。禁断の水脈。新たに建造だれている巨大モンスターの前にあってはもはや鼻クソ。普通にカフェ。特徴的で使われ方がいまいちフォリー(狙い過ぎて絡みづらい、見たいな人いますね、ウププ)。桟橋と化したものなどなど見ていくと、計画当時から予め他の建築家との共同の施設があったにせよ、この空疎な格子点とプログラムの融和は、フランソワ・スクイテン『狂騒のユルビカンド』にもある、ある日突然都市に暴力的に出現した巨大な立体格子が人々の生活を一旦呑み込むものの、次第に人々はそこに交通網を敷いたり、農耕地やプールと、立体格子の出現前よりも生彩に富んだ共生をしていくストーリーを彷彿させる。人は逞しい。  オランジュリー美術館、クラシックな外観、改装に改装を重ね、現在モネの睡蓮を展示するよう息を吹き返した。外観に反し、内のつくりはかなりモダン。楕円形と天窓による2つの展示室は睡蓮を360°シームレスに堪能できる。  次いでオルセー美術館。こちらもクラシックな建物なのは、古い駅舎を改装し美術館として新たに生まれ変わったからだ。巨大な吹抜けを囲むように展示室が周遊する構成は横浜美術館に似ている。が、やはりここも空間のスケールが桁違い。光も取り込みももともと駅舎だけあってふんだんに自然光が採り入れられている。にしても広い。階段が多い。もう歩けないと、30分その場で休息していると、存外再び歩けるようになる。30分回復の法則があるとか、ないとか。


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