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旅行記事

インド3

8:00起床。再びタージマハル、今日はチケットを購入して正面から見る。入場前にケイサールから注意を受ける。ガイド、撮影の押売りは相手が子供であっても一切無視すること、チケット以外のお金がかかることはないので、何か要求されても払わないこと、自由に見ること、と。なるほどなるほど。それにしてもここが一番の観光メッカのようだ。街はどこにいってもインド人一色にもかかわらず、ここにいたかとばかりに様々な人種がつどっている。もはや建物よりも西洋人が着こなすサリーの煌びやかさに目を奪われる。

次の移動の前に、実は金が足りてないことと、工面の方法を相談する。辛うじてクレジットカードがあった。(省略)

次に向かうのはシカンドラ。アーグラから郊外へと向かう。田園と集落の間をしばし突っ走る。田園以外はとにかく人・人・人、どこにいっても人がいる。少し密度の高い通りになると、店が並びあちこちと商店街を形成している。人が溢れる街並みは活気があって楽しい。シカンドラにつくと、再びケイサールから注意をうける。前回と同じだが、建物内に入るとき靴を預けることになる、チップを20Rs程度渡すとよい、と言われる。相場を知っているとスムーズだ。インド建築はシンメトリーが多く、ここも例外ではない。なかなかの大らかさと迫力に圧倒される。中に入ると、薄暗い部屋に棺がポツリと置かれている一部屋だけだった。・・・・。巨大な外観にもかかわらず、内部はわずかこの墓室しかない。壮大な装飾の墓、ということだろうか。このあたりの狂気がおもしろいというか、タージマハルもインドの皇帝が愛する妻が齢36歳で亡くなると、その霊廟として、20年近くの歳月をかけて建造された。権力をいいように皇帝なにやってんだよ、、、といいたくもなるが、この気狂いじみた情の深さと行動が、逸脱した建築を生み、時と場所を超え、世界中の人たちに今こうして呼びかけている。

入り口付近にあったドームが連続するトップライトの建築が気になった。

2日目は違う宿となった。アプローチにさりげない庭がしつらえられ、バンガローのような受付、ヒンヤリとした廊下と高い天井の寝室に差し込む簡素な光がいい。この日も映画に誘われたが断り、今日は一人で夜の街をブラつくつもり。ケイサールが帰る時、夜は危ないからうろつくなと言われた。とりあえず水でも買いにいこう。「はじめてのおつかい」気分だ。出たら出たでやはりあちこち気になって、あてもなくブラブラする。夜、到る所で人だかりができ賑わっているのが、見ていて楽しい。危険も腹一つ、用心ばかりではつまらない。

インド人は想像以上に人懐っこく、あちこちで話しかけてくる。首にかけた一眼レフが恰好のコミュニケーションアイテムとなる。今まででも多々、お店を眺めていたりするとHello.と始まり、笑顔で手招きに誘われるまま店内にお邪魔し、自己紹介とか仕事を見せてもらう。そしてすかさず営業されるが記念撮影をパシャリでたいがい満遍の笑顔で応じて快く別れる。今宵も水を買った店で、おじさんが店の中に招いてくれた。ここは結構郊外であることもあってか英語が全く通じないのだが、なにやらカレースープのようなものを煮込んでいて一緒に食べようというジェスチャー。仕草がとてもソフトで、どこか無邪気さが残る笑顔。無言のままもらったタバコをくゆらせていると、しばらくしておじさんは下腹部ふきんで中指を立てるジェスチャー。控えめなファックと思いきや、なにやら勃起を意味しているらしい。適当にYes,Yes,Of courseといなすと、今度は左手で輪をつくり中指を出し入れしている。しょーもなっ(そういえばケイサールも下ネタが好きだ。)。なかなか料理もできないようなのでお暇することに。すると外までおっさんは見送ってくれるかと思いきや、僕をどこかえ連れて行こうと先導する。そして再び件のジェスチャーにようやく意味がのみこめた。こういう文化だけはどの世界にも共通なのだろうかと関心しつつも、急ぎ足で振り切ろうとすると、おっさんは近くにいた子供になにやら指示し、今度は子供がつけ回してくる。さすがに子供が売春のお手伝いとは本人に自覚がないにせよ、関心を飛び越えた何かがある。そして子供というのはしつこさにおいて実に無邪気だ。宿まで訪問販売はこないだろうが、なんとか巻いて宿に戻る。

今日のホテルの雰囲気はよいものの、昨日よりは汚く、布団はゴミの日に出してありそうなボロの目立つ毛布一枚。無論お湯は出なかったが、ケイサールの働きで、受付からバケツでお湯が支給された。


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